2024年03月28日
もう廃線から12年
みなさん、おはようございます。長野電鉄屋代線が廃止され12年経ちます、


↑屋代駅構内にあった跨線橋がなくなり、↓

足場の跡が残り、

使用されていた5番線と、イベント時に使用されていた4番線


↑当時あった踏切の跡や自然に帰っていく↓

姿が見られます。さみしいものですね。
↑屋代駅構内にあった跨線橋がなくなり、↓
足場の跡が残り、
使用されていた5番線と、イベント時に使用されていた4番線
↑当時あった踏切の跡や自然に帰っていく↓
姿が見られます。さみしいものですね。
2023年08月07日
解体されている2000系A編成
2023年07月15日
変わらない信濃川田駅
みなさん、おはようございます。旧信濃川田駅です。

駅舎、も廃線時のままの姿であって、


時刻表や運賃表も当時のまま、

かつては2000系A編成が留置されていましたが、解体

構内踏切もほぼ当時のままあって、

屋代駅方面、

2000系A編成のイス。

駅名板がこんなに綺麗ですね。駅舎内には、



↑駅ノート、廃線の新聞や、A編成の写真等が展示されています。
駅舎、も廃線時のままの姿であって、
時刻表や運賃表も当時のまま、
かつては2000系A編成が留置されていましたが、解体
構内踏切もほぼ当時のままあって、
屋代駅方面、
2000系A編成のイス。
駅名板がこんなに綺麗ですね。駅舎内には、
↑駅ノート、廃線の新聞や、A編成の写真等が展示されています。
2023年06月06日
駅から広場になっても駅
みなさん、おはようございます。

↑長野電鉄旧屋代線の綿内駅舎がない!

↑いつの間にか「綿内中央広場」↓


↑東屋があって、ちゃんと「綿内駅跡」っていう↓


名残は残っているんですけど、

バス停は「綿内駅」。バス停名もそのうち、「綿内中央広場」になってしまうかもしれませんね?。
↑長野電鉄旧屋代線の綿内駅舎がない!
↑いつの間にか「綿内中央広場」↓
↑東屋があって、ちゃんと「綿内駅跡」っていう↓
名残は残っているんですけど、
バス停は「綿内駅」。バス停名もそのうち、「綿内中央広場」になってしまうかもしれませんね?。
2023年01月16日
もう10年が経過していた
2022年12月05日
通電してた頃
2020年01月05日
約1年前の信濃川田駅
2019年03月03日
解体!長電2000系A編成その2
みなさん、こんにちは。雄姿が見られるのは・・・



↑昨日の作業から初代1000系と離れています。


↑座席背面と座席。扱いヒドイかな?

↑FS510台車


↑愛好家には魅力が詰まったダストボックス

↑山積みの静止型インバータかな?

↑4日の週には見られなくなるかもしれないですね。
↑昨日の作業から初代1000系と離れています。
↑座席背面と座席。扱いヒドイかな?
↑FS510台車
↑愛好家には魅力が詰まったダストボックス
↑山積みの静止型インバータかな?
↑4日の週には見られなくなるかもしれないですね。
2019年03月02日
解体!長電2000系A編成
みなさん、こんにちは。先月より始まった・・・

↑2000系A編成がない。




↑窓も無く「2001」の1号車、やがて解体されてしまう可能性?

↑初代「1000系」とは連結されていなく


↑パンタグラフとエアコンは使えそうな感じ



↑さみしい。3号車と2号車は解体された様です。
↑2000系A編成がない。
↑窓も無く「2001」の1号車、やがて解体されてしまう可能性?
↑初代「1000系」とは連結されていなく
↑パンタグラフとエアコンは使えそうな感じ
↑さみしい。3号車と2号車は解体された様です。